東京医科大学の事件について、アファーマティブ・アクションから考える

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今日こんなニュースがあった。 news.livedoor.com

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mainichi.jp

詳しくはニュースを調べてもらえればと思うが、端的に言えば「男女比が半々になってしまうと、ライフステージの都合でやめてしまう女性医師が増えてしまうので、意図的に女子の点数を操作して入学者数を調整していた」というものだ。

このニュースを読んで、あまりにも批判の声が多く湧き上がっているのをみて、日本も随分ジェンダーフリーというか男女平等が意識されるようになっただなと感慨深く思うと同時に、なんだか無批判に「不平等だからアウト」という批判が多くそれがなんとなく気になっている。

そんなこんなでいろいろと考えていたら、アファーマティブ・アクションについて、大学時代に書いたレポートがあったので、改めて読み返してみた。今日はそのレポートの内容をまとめておこうと思う。

念のため事前に断っておくと、今回の件がアファーマティブ・アクションではないことは重々承知しているし、そもそも情報源が古いので気になった人はきちんと個人で調べて欲しい。ただ議論のきっかけになってくれれば嬉しい。

アファーマティブ・アクションとは

アファーマティブ・アクション(英: affirmative action)とは、弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための改善措置のこと。この場合の是正措置とは、民族や人種や出自による差別と貧困に悩む被差別集団の、進学や就職や職場における昇進において、特別な採用枠の設置や、試験点数の割り増しなどの優遇措置を指す。 Wikipedia

アファーマティブ・アクションは、日本語だと積極的差別、などと呼ばれる。アメリカの大学では結構事例があり、同じ点数の白人と黒人の学生がいたときに、黒人学生が入学し、白人学生が落ちたことで訴訟に発展したりしている。実際、議論には結論が出ておらず、今でもグレーな状態といえるらしい。

日本だと憲法14条の法の下の平等に抵触すると考えられる傾向が強く、こういった処置はそもそも法律的にアウトとの認識が強い。一方で、民間企業などには積極的に取り入れられていて、女性管理職の割合などが企業の努力目標に掲げられるのは同じ理屈だ。

また日本の場合、アファーマティブ・アクションという言葉よりは、ポジティブ・アクションと呼ばれることが多い。

なぜアファーマティブ・アクションが行われるのか

昔流行った、マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」という本に、ちょうどアファーマティブ・アクションについての項がある。ぼくがレポートを書いたのは、ちょうどこの時期だったので、この本を中心に論を進めていた。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

この本では理由として大きく3点があげられている。

1.そもそもの不平等の是正のため

アメリカなどの多文化社会においては、それぞれの土地が文化的背景を持つ場合が多い。例えばチャイナタウンなどがそれにあたる。また現実としては未だに人種差別も存在していて、結果として白人学生と比較して、黒人学生やヒスパニックの学生は経済的格差を是正してなお、SATなどの得点に差があることが分かっている。

こういったすでにある不平等をならすため、黒人学生やヒスパニック学生に対して、アファーマティブ・アクションを行うという事例があった、あるいは今もあるらしい。

この例でいけば、例えば東京医科大学に限らず、男女比較をしたときに男子よりも女子のほうがセンター試験の点数が高い場合、女子の点数を操作しその格差をならすという措置は、多少合理的だと考えられる。

実際そういう事実ってありそうな気もするが、今回はそんなこと考えられていないうえに、男女という生物学的差異で区別していることに問題がある。点数差が社会的性別、いわゆるジェンダーによるものだというなら通る可能性はありそうな気はするけれど、そういった研究あるんだろうか。

2.過去の誤ちへの謝罪のため

これは日本だとあまりピンとこないかもしれないが、所謂黒人差別などが常態化していた過去への謝罪の意図を込めてアファーマティブ・アクションを実施するケースだ。ただこのケースでは、実際に対象となる学生は実は被差別者とは関係ないケースが多く、またその結果入れなくなる学生がいることから、一番議論を呼びやすい理由といえる。

日本の場合、男尊女卑的な思想から日本社会全体で女性に対する謝罪ムードがあり、その表れとして女性の点数をあげる措置をとる、といった流れであればまだわかる。が、これも今回のケースで言えば妥当ではない。

3.多様性の確保のため

これは一番分かりやすい。男女共同参画社会のような、企業の男女比を是正するような取組みはこの考え方が強いためだ。

例えば今回のケースのような場合、医師になるのが8割白人男性な社会はいびつといえる。社会の多様性を保つためにも、一つの職業においても多様な文化的背景を持つものが就いているほうがいい。そのためには、大学はある程度文化的な多様性を保つべきだ、という理屈だ。

それ以外にも大学自体が教育を目的として多様性を確保したい、という理屈もある。要するに大学の理念として、日本人だけでなく留学生を多く受け入れるなどの措置をとるのがこれに当たる。

ぼくの母校のICUでは、9月入学生やキリスト教推薦があることで、一定数の帰国子女やキリスト教徒が入る仕組みになっていて、これは大学の理念と結びつくものだ。それと同じようなものなのだ。

この場合、今回東京医科大学の問題は「隠して操作を行っていたこと」にある。まあ今どき男女の合格人数が分けて記載するなんてのもナンセンスな話かもしれないけれど、未だに日本の高校は同じような形式で募集をかけているだろうし、そこは大学だけが批判されるべきではない。

ただ平等に見せかけて実は不平等であったことに問題があり、その方針を明確にしていれば問題なかったはずだ。

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例えば何かと話題の高須さんが言うように、「東京医科男子大学」にしてしまえばなんの問題もなく、それは大学のポリシーとして受け入れられる。その結果受験者が集まらなければ、それは大学側が社会に受け入れられなかっただけの話で、市場で負けたのだから去ればいい。それだけの話だと思う。

まとめ

というわけで、アファーマティブ・アクションの視点から今回の事件を見てきた。もう5年も前に調べたことなので、古い情報も多いかもしれない。ただ「女性だって頑張ったのにひどい」みたいな、そういうい浅い批判をして解決する問題ではないと思うので、こういう差別、ないしは区別はなぜだめで、どういう状態なら許されているのか。もしくは今回の件から見える、隠された差別はないか。を議論する土壌をそれぞれが持つことが大切だと思う。

というわけで、本日はここまで。この手の話を記事にするのは少し緊張する。 では、最後までお付き合いいただきありがとうございました。