BLUE GIANTは<中級の壁>を超えるバカたちの物語だ

こんばんは、駆け出し眼鏡です。今日、今更ながらマンガ「BLUE GIANT」を読みました。

控えめにいって最高のマンガでした。知らない人のためにも、最初にあらすじを書いておきます。

主人公はバスケ部に所属する宮本 大。中学の時、友人に連れられて見に行ったジャズの生演奏に心打たれた。その後、たった独りでただがむしゃらにテナーサックスの練習をはじめる。(中略)

「絶対にオレは世界一のジャズプレイヤーに、なる」。雨の日も猛暑の日も毎日毎日サックスを吹く。初めてのステージで客に怒鳴られても。それでも大はめちゃくちゃに、全力で吹く。(中略)

激しく変わる。激しく成長する。ジャズに魅せられた少年が世界一のジャズプレーヤーを志す物語。(BLUE GIANT ホームページより

かなり有名な作品なので、もう読んだことがある人も多いと思います。ぼくもずっと気になっていて、ようやく今日読む機会があったので、とりあえず国内編の頭10巻を一気読みしてきました。

<中級の壁>を超えるバカたちの物語

無音なはずの漫画から、音楽が聞こえてくる。心の何かを突き動かす音が。

これはブルージャイアントの3巻に寄せられたコメントです。このコメントに限らず、このマンガは音楽の表現にとても特徴があり、その点が非常に評価されています。

でもぼくが何よりも最高だと感じたのは、登場人物たちがそれぞれの<中級の壁>を打ち破る過程が描かれていた点です。

readingmonkey.blog.fc2.com

ちょうど昨日のブログで書いた読書猿さんの記事で、こんなことが書かれています。

ヒトは自分が今どの水準にいるかではなく、自分が持つ基準から見てどれだけ増えたか減ったかに反応して一喜一憂する、度しがたい生き物だ。直線的成長を基準にしてしまうと、上達の鈍化をまるで悪化や損失のように感じることになる。実際はわずかでも進んでいるのもかかわらず、だ。

このマンガの登場人物たちは、みなそれぞれの目的に対して、ひたすら努力を続けます。結果それぞれのやり方で<中級の壁>を超えていきます。その努力の異常さや、乗り越えたときの感極まる感じは、本当に心に来るものがありました。

一方で、それぞれが抱えていた目的は、その大小が大きく異なります。世界一のジャズプレイヤーになるのだと決めた主人公に対して、有名なジャズバーで演奏をしたいピアニストや、二人についていくことに必死なドラマーは小さな目的を掲げていると言えます。結果この大小が、努力の末に到達できる飛距離の差を生み出していきます。

この辺りの目標に対しるひたむきさ、とそれだけではどうにもならない残酷さのバランスがとても良く、面白いとともに考えさせられるものがありました。

「自分を信じること」でひたすら前に進もう

ぼくらはみな、わかりやすい物語を求めています。一斉に大学受験をし、一斉に就職活動をし、何となくみんな3年程度で転職していきます。でも主人公の大を始めとする、登場人物たちはみな正解のないなかで、「自分はやれる」と強く信じることで前に進んでいきます。

その差は、ただ生きているだけでやってくる「このままでいいのか」という不安感に対して、「周りと同じこと」で安心感を得るのか、「自分を信じること」で前に進むのかの違いでしょう。

例えばぼくは毎日ブログを書いているわけですが、最終目標として自分の名前で食っていきたいという思いがあります。A社の駆け出し眼鏡ではなく、「駆け出し眼鏡」単体で食っていけるようになりたいのです。

そのためのブログですが、現状泣かず飛ばず、ひたすら書き続ける毎日です。でも「自分はやれる」と強く言い聞かせて、改めてこれからも頑張っていきたいと思います。

最後は少しポエムな感じでしたが、改めて本当にいい漫画に出会いました。まだ海外編まで手が出せていないので、次の機会にぜひ読んでみようと思います。

本日はここまで。最後までお付き合いいただきありがとうございました。